施設介護の意義と居宅介護の限界
2011年6月25日
by uk
珍しく真面目そうなテーマですが、論文にするつもりはないので乱文のまま失礼いたします。
私が施設介護の意義に位置付けているものは2つあります。
1つは当然ですが、
ご入居されるお爺ちゃんお婆ちゃんの幸せです。
一生懸命働いてきた後のセカンドライフなんだから
これ以上苦労することなく、楽しく過ごして欲しい、
そんな思いです。
ここは譲れません。
もう1つは家族の介護負担からの解放です。
最近の高齢者福祉ではここが重要な要素になっていると思われます。
福祉から離れてマクロ経済から考えても
1人のセカンドライフのために2人の家族が従事すると
労働人口が減り、労働力を失いますから、
生産力がなくなり、経済は収縮します。
施設介護であれば、介護自体が産業ですから、
そこには生産があります。
経済は収縮しません。
こうなれば介護は単なる消費ではなく、産業になるのですから、
政府も公共投資の中で考えるべきです。
今回の震災で建築系の政治家が息を吹き返して来ました。
確かに今の東北地方には大規模なインフラ整備が急務です。
しかし、国家百年の大計を考えるならば
公共投資の方法転換を考えるべきです。
さて、家族の介護負担の解放を経済的に論じてしまい
まるでハートを感じない話になってしまいましたが
実はハートがあるんです(#^.^#)
憎まれ口ばかり言う婆ちゃんも、
たまに会うなら可愛い婆ちゃんで可愛い孫なんです。
普段の介護の中で「汚いもの」「臭いもの」に接するから
婆ちゃんの人格要素の1つに汚いものが見えてしまい
人間関係も壊れやすくなります。
ここに居宅介護の限界があるのだと思っています。
「昔はとんでもない母だったんです。」
なんて言いながらも
入所されて介護から解放されたら
毎週のように会いに来てくれるご家族がいるのは
そんな背景があるんだと思っています。